CBTのお話
この時期になると後輩からCBTについてよく尋ねられる。
昨日医学部の記事で読者数が増えたので、この話にも需要があると勝手に予想して、勝手に書こうと思う。
医学部4年生になると、国家試験のように全国の医学部生が受けるCBTというテストがある。
そのテストで就職も決まるし、ポリクリの班も決まるし、国試勉強にも影響する…
なんてことはほとんどない(一部の病院はあるかもしれない)が、まあまあ重要なテストだし、いい点を取っておくに越したことはないだろう。
マッチングの時に一応成績は確認されるし。
では、どうやったらいい点を取れるかであるが、とりあえずQB(過去問)はやりこむべきだと思う。
各問題の解説を読み込んで、分からない単語は調べまくり、選択肢や解説に出てくることは一通り聞いたことある位の状態にする。
後はつながりを意識して勉強する。
解剖学と癌の転移のつながり、アドレナリン受容体の発現と薬理学のつながり、生化学と体内の物質移動のつながりなどなど
これらを考えながら勉強していれば、基礎医学と臨床医学をリンクさせて考えられるようになるし、CBTのみならず国家試験にも役立つ知識になる。
ちなみに、動画講義でこの辺りはカバーできるかもしれないが、僕は結局取らなかったし、取らなくても支障はなかった。
正式名称などは適当でいい。
アトロピンとアスピリンなど間違えやすいものだけ覚えて、後は5択で分かるくらいにぼんやりと覚えておけばいい。
大事なのは各病気の機序と、それらに関連した臓器の働きや基礎医学的知識である。
と、ざっと注意点をまとめたけれども、他にも聞きたいことがあればぜひコメントしてください。
下に、CBTを受けるまでに考えていたことをまとめた記事を貼っておくので、まだ読んでいない人はこちらもぜひ。
【9割達成】医学部CBT対策記事、第七弾!まとめ編【勉強法】【実況】 | 医学生 かずの呟き
医学生の足枷
医学部のカリキュラムは厳しい。
と言っても、暇な時間が無いわけではなく、長期休みも高校生と同じくらいあるのだが
何が厳しいのかというと、必修の授業だったり実習だったりテストだったりが多いのだ、というかほぼ全て必修である。
大学にもよるが、何か一つ科目を落とせばそれだけで留年になるし
絶対出席しなければいけない授業が山ほどあるから、毎日朝から晩まで授業を受けるという高校生みたいな生活を送る羽目になる。
おまけにテストも多い。
習う科目分だけテストがあるから、2週間で20個テストなんてこともあった。
病院実習期間に入れば、授業は無くなり多少暇な時間が増えるが、その分新たな問題が生まれる。
先の予定が分からないのだ。
病院で働く先生方に合わせて予定が決まるため、当日に平気で1時間遅れたりするし、急に呼び出しなんてこともある。
2週間先の予定なんて全く分からない。
6時までオペかもしれないし、1日空いているかもしれない。
僕は家が遠かったから本当に苦労した。
だから長期間で何かを成し遂げられる医学生は本当にすごいと思う。
空いている時間をFullに活用し、予定がバッティングすれば先生と交渉し、日々出される課題をこなしながら別のこともできる人にしか許されないからだ。
言語化
言語化することは大切である。
分からないことがあったとして、何が分からないのか、なぜ分からないのか、どうやったら分かるようになるのか言語化すれば大体解決するし
アバウトな目標であっても、言語化することで、解像度が高まり自分が本当にやりたいことが見えてくる。
一種の無知の知なのかもしれない。
言語化することの大切さは、ブログを書くことや色んな人と話すことの大切さにも繋がるだろう。
自分が日々何を考え、何に悩んでいるのか、文字にしたり言葉にしたりすることで浮かび上がってくる。
話してみて、意外と行きづまっていたことに気づいたり、新たな解決策が浮かび上がってきたり、すぐそばに答えがあったことを忘れていたり
自分が感じた気持ちをそのまま言葉にするのもいい気がしてきた。
かゆいとか眠いとか暑いとか
で、今日は大学に行く日である。
・・・だるい
365文字の思索旅行
旅行に行きたい。
行きたいところを回り、心動かされるものにシャッターを切り、現地の美味しいものを思う存分食べたい。
自分を違う場所、違う文化においてみることで、自分とは何か、何がしたいのか、自分には何があるのかを見つめなおしたいのだ。
そして夜は部屋で何もせずぼーっとする。
この時間が一番好きだ。
撮った写真のことを考えたり、1日の内に感じたことを整理したり
とりあえずテレビを付けてみたり
もちろん、友人との旅も好きだが、やはりこの時間は1人で過ごしたい。
少しでも日々の「自分」から離れたいのかもしれない。
現代社会において、「自分」という役割を振る舞い続けるのはやはり疲れることなのだろう。
家にいる「自分」や友達の前での「自分」、その他様々な場面での「自分」、色々な「自分」の型を全て取り外してやることが、私にとっての旅行なのかもしれない。
清貧??
清貧という言葉が嫌いだ。
今の時代に合っていないと感じるからだ。
インターネットなど通信サービスが普及したこの時代、世界との距離はどんどん縮まっている。
物のやりとりも、お金のやり取りも、人材のやり取りもどんどん白熱していく中で、清貧など唱えている国はどこにもない。
ましてや食料品をはじめ、様々なものを輸入に頼っている日本、清貧などとぬかしていれば、たちまち諸外国にあらゆるものを奪われていくだろう。
現に奪われつつあるかもしれない。
そうなれば、残るのは本当の貧しさだけだ。
皮肉なことに、清貧を唱えられるのは、日本が豊かな国だったからなのだ。
現に清貧を唱えているのは、なんだかんだで生きていける位のお金がある人だけだろう。
清貧は勝手にやるもので、押し付けるものではない。