分からないを言語化したい

小学生を教えていると、そこそこの頻度で分からないと言われる。

僕自身も分からないことによく出会うし、世の中のほとんどの人は毎日分からないことに出会ってるのではないかと思う。

しかしながら、なぜ分からないのか、何が分からないのか深く考える人は少ない気がしている。

せっかく疑問に突き当たっているのに勿体ない…

僕に何ができるのか考え、とりあえず自分なりに分からないを分析してみることにした。

これを読んで、ぜひ皆さんも分からないについて考えてみてほしいと思う。

分からないの原因1つ目としてまず挙げたいのが、「なにか前提知識が足りてない」である。

面積を求める問題で、その公式が頭に入っていなかったり、英語の長文読解で英単語が分からなかったりがこれに当たるだろう。

この場合は前提知識を補うことによって解決する。

次に2つ目であるが、「考え方が分からない」というのがあるように思う。

例えば、芸術の見方であったり、哲学者の書いた本を読んだりするときなど。

こういう場合はその場で理解することは難しく、いくらか時間が経ってふとした瞬間に「あぁ」と急に理解出来ることが多い、と個人的には思う。

ゲームで経験値が溜まって、急にレベルが上がる感じ。

で、最後の3つ目だが、「考えるのを放棄した分からない」がある。これは確実にある。

疲れた時やめんどくさくなった時など、つい言ってしまうやつである。

これは本当によくない。

なぜなら、思考停止に陥って、そこから進めなくなるからだ。

しかも楽だから癖になる。

実際、癖になって、全く成長できない生徒を多数見てきたし、成長できない生徒の大半はこれだと思う。

これを減らして、いかに上の2つに持っていくかこそ、自分が成長する鍵であり、また他人を伸ばす秘訣でもあると僕は思っている。

しらんけども