空想(米津さんライブ所感)

空想でもあれほど素晴らしく美しい場所は思い描けないだろうというくらいだった。

アリーナ前から3列目

開始直後迫力ある歌声に頭をガンと殴られ、曲についていくのに精いっぱいで、呆然と立ち尽くしている間に終わってしまった。

終わってからも放心状態で、1日たってやっと終わったことに涙し、持ち合わせている貧弱なボキャブラリーでその時の感動を最大限表現しようとする有様である。

米津玄師がはじいた光が直接目に届き、発した音が直接耳に届いていた。

手の動き、首の振り、体使い、歌声全てが美しかった。

眺めながら、聞きながら、これが幸せなのかとぼんやり思っていた。

これまでで最も「米津玄師」を実感したライブだった気がする。

終わってしまったのがただただ悲しい。

これ以上いい席などもう望めはしないだろうが、せめて次回以降のツアーでも会場で生歌を聞けたらなと思う。

とにかく、昨日は本当にありがとうございました。

お仕事頑張るので、どうかまた当選させてくださいよろしくお願いいたします。

お久しぶりです

だいぶ期間が空きましたが、めでたく国家試験に合格し、医師として働いております。

学生と違って、自分で考えて動かないと誰も何も教えてくれないので、すごく大変ですが、なんとか生きてます。

医学生かずの呟きにて、学んだことや思ったことを順次まとめていくつもりですが、多分更新は遅いので、分からないことなどあればいつでもコメントください。

若干早く返せると思います。

分からないを言語化したい

小学生を教えていると、そこそこの頻度で分からないと言われる。

僕自身も分からないことによく出会うし、世の中のほとんどの人は毎日分からないことに出会ってるのではないかと思う。

しかしながら、なぜ分からないのか、何が分からないのか深く考える人は少ない気がしている。

せっかく疑問に突き当たっているのに勿体ない…

僕に何ができるのか考え、とりあえず自分なりに分からないを分析してみることにした。

これを読んで、ぜひ皆さんも分からないについて考えてみてほしいと思う。

分からないの原因1つ目としてまず挙げたいのが、「なにか前提知識が足りてない」である。

面積を求める問題で、その公式が頭に入っていなかったり、英語の長文読解で英単語が分からなかったりがこれに当たるだろう。

この場合は前提知識を補うことによって解決する。

次に2つ目であるが、「考え方が分からない」というのがあるように思う。

例えば、芸術の見方であったり、哲学者の書いた本を読んだりするときなど。

こういう場合はその場で理解することは難しく、いくらか時間が経ってふとした瞬間に「あぁ」と急に理解出来ることが多い、と個人的には思う。

ゲームで経験値が溜まって、急にレベルが上がる感じ。

で、最後の3つ目だが、「考えるのを放棄した分からない」がある。これは確実にある。

疲れた時やめんどくさくなった時など、つい言ってしまうやつである。

これは本当によくない。

なぜなら、思考停止に陥って、そこから進めなくなるからだ。

しかも楽だから癖になる。

実際、癖になって、全く成長できない生徒を多数見てきたし、成長できない生徒の大半はこれだと思う。

これを減らして、いかに上の2つに持っていくかこそ、自分が成長する鍵であり、また他人を伸ばす秘訣でもあると僕は思っている。

しらんけども

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今年の抱負は医師になることです。

今はとにかく勉強しまくってます。

ぜひお祈りよろしくお願いします。

余裕がないのでここで失礼します。

米津さんへのファンレター(案)

米津さんのライブが当たった。

脊オパ、HYPE、変身と当たっており、もし参戦できれば実に4回目である。

マジで嬉しい。

米津さん、毎回生きる希望を下さって本当にありがとうございます。

嬉しすぎて、ということはなく前から、ファンレターを出そうと画策しているのだが、何を書けばいいのかわからない。

これまでの感謝を伝えるために、ありがとうございますを100回くらい書いてもいいのだが、流石にびっくりされるだろうし、まずそもそもソニーの人にブラックリストに登録される可能性すらある。

かと言って、あんまりありきたりなことを書いても一括りにされてしまうだろうし(まあそれはそれで構わないのだが)、ちょっとくらい印象に残ってほしいという気持ちもやはりある。

名前だけ5倍くらいのサイズで書くか、めちゃめちゃ風情ある文章を書くか、天才的な回文を生み出すか

あほなことを色々考えていて思ったのは、何回も感謝を伝えられるのが一番嬉しいだろうなということ。

とりあえず国試が終わったら、変身の感謝のファンレターを名前だけマジックで書いて送ろうかな。

亀として生きる

なんのために生きるのだろうかとたまに思う。

もちろん、人とのつながりを失いたくないだとか、米津さんをずっと追っかけていたいだとか、もっといろんなことを知りたいだとか、あれがほしいこれがほしいだとか、自分なりに色んな理由があるのだが

果たしてそれら一つ一つに本当に意味があるのかと考えてみると、この広い世界の中で、ちっぽけな自分自身の行動なんてなんの意味も持たないだろうなと感じてしまうのだ。

だからこそ、昔は何か大きなことを成し遂げて名を残したいとか思っていたが

世の中すごい人が多すぎることに、最近ようやく気づいてしまった。

医学でも写真でもどんな分野においても、とにかく自分のはるか上を行く人が大勢いる。

今までなぜ何かを成し遂げられると思っていられたのか不思議なくらい、みんなすごいのだ。

先輩の姿はすでに見えないし、同期もロケットの如く飛んでいくし、後輩はいともたやすく僕を追い抜いていく。

毎日コツコツ問題を解きながら、ただボケーっとこのような考えにふけってるのが情けなくなる。

しかしながら、とにかく今の僕にできることは国家資格を取ることしかないので、ひたすら亀のようにしぶとくのろのろと生きていく。

亀にしか見つからないチャンス、ないかなぁ。