テストの心構え

テスト前は勉強しかできないから面白くない。

もしかすると世の中には、テスト前でも勉強以外のことをできる人がいるのかもしれないが

僕は勉強以外のことをしようとしても、焦って手につかないからできないのだ。

だからテストを受けるのは嫌いだ。

大学受験の時も、最低限の模試しか受けなかった。

勉強に関して焦りたくなかったし、成績が悪くなるのを見るのも嫌だったし、それを怒られるのは尚更嫌だった。

でも最近になってようやく分かった。

テストは経過であり経過でしかないということだ。

自分の現在地点をプロットし、フィードバックを返してくれる便利品に過ぎないのだ。

勉強をするのはテストのためではなく、その先の目標に向かうため。

模試を受けるのも自分の現在位置を把握するため。

よかったらその調子で勉強すればいいし、悪かったら勉強法を見直せばいい。

こう考えると少し気が楽になった。

まあ、テストが嫌いなことに変わりはないが。

灯篭流し、前から撮るか横から撮るか

今日は何を書くかと考えていたところ、お題メーカーの存在を思い出したので、せっかくだから使ってみることにした。

前に一度見かけてからずっと使ってみたかったのだ。

何が出るのかワクワクしながら引いてみたところ

なんと「真夜中に駆ける灯篭流し」

難しいな~と思いつつ考えてみると、いつの間にかどう写真を撮るかばかり考えている自分に気付く。

どこからどのように撮るか、どういう画を狙うか、登場人物はどうするかなどなど

この前友人と話していて気付かされたことなのだが、どうやら自分には情景を思い描く場合に、同時にカメラアングルを考える癖があるようだ。

思えば、生まれてから1/3はカメラにはまっていたし、きれいな景色のほとんどはカメラと共に見ているのだから、そうなるのも納得できるが

半分嬉しく半分悔しい。

カメラが自分の一部となっている嬉しさと、カメラにきれいな景色を取られている悔しさ

いつか僕から持って行ったきれいな景色が評価されるといいなぁ、と各フォトコンテストからの通知を待ち望みながら思う。

国家試験まで4か月

なんだかんだ言っても、国試まで後4か月しかないことに、最近気づいてしまった。

昔は6年生にもなれば、1年中国試に怯えて勉強しているだろうと考えていたが、実際になってみるとそんなこともない。

まあマッチングまでは必死に勉強しており、その貯金が少しあるという個人的な理由もあるが

遊びに行ったり、旅行に行ったり、なんだかんだみんなも楽しんでいる気がする。

でもここで、社会の一員になる直前、最後の青春を味わい尽くすかのように…とか書き始めると、またいつものように徒然なるままに悩みを綴った文章になってしまいそうなので

今日は今何の勉強をしているかについて大人しく書くことにする。

幸か不幸か、僕の通う大学では近々卒業判定の試験があるので、今はそのための勉強に励んでいる。

とりあえず1日3~5時間位は公衆衛生の動画講義を見つつ、QBの1周目問題を解き

暇な時間にプログラミングの練習をしたり、本屋に行ったり、美術館に行ったりしている。

大学の講義がないと意外と時間があり、勉強ばかりするのも気が滅入るので、後輩の皆さんはやりたいことを考えておくといいだろう。

なお、マッチングまでの勉強については「医学生かずの呟き」のこの記事にまとめているので、よければ参考にして欲しい。

・・・これはブックマークしがいのある日記になったのでは??

幸せになるには

僕は今幸せだと思っている。

やりたいことができているし、勉強も嫌いではないし、程よく働いて遊びに行けるだけのお金は稼げている。

将来は労働としては厳しくても安定するだろうし、特に心配すべきことは今のところない。

一方で不幸せかもしれないとも思う。

自分の一番好きな分野での仕事かと言われると違う気もするし、やりたいことができるのは後数か月といったところだし、そもそもやりたいことを全てするにはお金が全く足りない。

こんな時にはマザーテレサの「思考は運命を変える」という名言を思い出す。(※マザーテレサの言葉ではないという説もある)

思い出して、幸せと思う方が幸せになれるのだと自分自身に言い聞かせる。

・・・考えていることを書くと、大体病んでいるのかと心配されそうな文章になるので、明日は勉強のことでも書こうかな。

婚活中のOL気分

最近医学生かずの呟きの方の調子がいい。

こちらとの相乗効果のおかげか、はたまた記事の更新を再開したからかはわからないが、以前より多くの人に見てもらえている。

このままちょっとずつ有名になって、案件が色々来て、いい感じに人生進んだらな、米津玄師さんともお仕事出来たらな、なんて時折夢想するが、まあ現実はそれほど甘くはない。

グループで出るコンペティションでプレゼンのライターをやって賞を取ったり、毎日いい感じの文章を書いたりと、頑張っているんだけどもな

サイトも毎日100人見てくれてるし、昨年は大きめのお仕事もしていたのにな

医学の勉強もそこそこできるし、プログラミングもちょっと触りはじめたし、写真もうまいし、いい人材だと思うんだけどな

色んな経験をすればするほど、世の中はほんとうに広くて、自分が虫けらみたいな存在であることを実感してしまう。

思い切って、気になるところ、面白そうなところにアタックしようかとも思うが

なんだかんだ言って、来年からはしばらく医師として働いてみたい自分もいるし

でも医師として一度働き始めたら、死ぬまで医師でいるような気もするし

まるで婚活中のOLみたいだな、なんて思う。

なんだかんだ言って、悩める今が一番幸せなのかもしれないな。

婚活タグ、つけとこうか悩んだけれども、来年から医師とか書いていたら誤解を生みそうだから、そっと消した。

不思議人間レポート

9/26 0:27

日記は夜に書くのがいい気がする。

1日が終わって、その日にあったことを嚙み締めるために書かなければ

朝起きて全てがリセットされた時に書いても、新鮮味のないかすかすの事務的な文章しか書けないなと、最近の日記を読んでいて感じた。

人間というものは不思議だ。

なぜ朝と夜で、こんなにも考えていることが異なるのであろう。

基礎的な医学の勉強をあらかたし終えた今でも、不思議だと思う気持ちはなお変わらない。

医学の勉強と言えば、今日久しぶりにQBを解いた。

暗記より理解をモットーにいつも勉強している僕であるが

その成果が出たのか、マッチングに向けて必死に勉強していた頃から1ヶ月半経った今でも、しっかりと解けたのが嬉しかった。

もっとも、人にこのエピソードを話すと、「1ヶ月半何も勉強してなかったにも関わらず、問題を覚えていて解ける」のところだけ切り取られ、頭がいいアピールをするなと言われるのだが

なぜ理解してくれないのか、これも人間の不思議だなぁと書きながら感じた。

まあ他の人からすれば、僕が不思議な存在なのかもしれないが

適切な批判をする

適切な批判をすることは非常に難しい。

というか、そもそも適切な批判とは何かというところが難しい。

僕は適切な批判とは「相手のことを考えて」「感情的にならず」「相手の誤りを論理的に指摘出来ている」ものだと考えているが

この段階で既に価値観の違いが表れそうだ。

相手のことを頭ごなしに否定するのが批判だと思っている人もいるし、同じテーマに関して自分の意見を淡々と述べるのが批判だと思う人もいる。

最近は訴えるという手段が普及し減少傾向にあるが、人格を攻撃するような批判をする人もいた。

僕はこういう人たちの批判について、相手に不快な思いを与えるだけで、生産性がないと考えているが

自分の批判について生産性があるのかと言われると、こちらもやはり、相手によっては全く意味のないものかもしれないと思ってしまう。

相手も相手で、人々に関心を持ってもらうために、主語を大きくして批判を煽るような人もいるし

こちらが「常識」と思っているようなことが、全く通じない相手すらいる。

と、ここまで読めば、世の中には批判というものは必要がないのではないかと思うが

僕はそうは思わない。

批判によって生まれるものも必ずあるからだ。

システムの改良や、作品のアイデア、新しいものの考え方などなど、批判がないとここまで便利な生活は実現しなかっただろう。

このように、何かを創出できるような批判こそ、僕は適切な批判であると思っているし、それが実現可能な批判は、やはり先に挙げた三つの条件が伴っている批判だと思っているが

世の中当然色んな人がいる。

皆さんとにかくよく考えて批判しましょう。