アイデンティティはどこにあるのか?

高校時代からずっとアイデンティティを求めていた節がある。

自分は小学校時代からいわゆる「いじられキャラ」で、中高ともそれは変わらず、途中まではそれが自分のアイデンティティだと思っていた。

しかし、ある時ふと「他人と交流している時の自分は、果たして本当の自分なのか?」と感じてから、アイデンティティを探し求めるようになった。

いつどの場面の自分が本当の自分なのかを考えたり、「本当の自分らしく」ふるまうようにしてみたり、とにかく迷走していた。

大学に入ってからも「アイデンティティ探し」は終わらず、とにかく色々なことに挑戦した。

一人旅をしたり、写真を撮ったり、美味しい店を追い求めたり、音楽を始めたり、テニスを始めたり、やりたいと思ったことを片っ端からやるようにした。

それをSNSで報告して、自分のキャラを塗り替えようとした。

目論見は当たり、高校時代の友達にキャラが変わったと言われるようにはなったが、アイデンティティ探しは終わらなかった。

転機はつい最近だった。

SNSへの投稿がめんどくさいと感じるようになったのである。

以前は何かにつけて更新していたインスタのストーリーが億劫になり、旅先でツイートしなくなり、帰ってきてからの写真投稿は丁寧に行うようになった。

同時に他人の意見に一喜一憂することが減り、気を遣いすぎることもなくなった。

今までアイデンティティを他人に求めていたことに気づき、いつの間にか自分にアイデンティティを求められるようになったことをとてもうれしく思った。

今の時代、他者へのアイデンティティの依存が問題とされているが、これは決して悪いことではなく、また誰しもが通る道ではないだろうか。(苦しいことではあると思うが)

この問題を防ぐ方法を考えるのではなく、このフェーズを潜り抜けるのをどう手助けするかに焦点を当てて欲しいと思う。