復活

ここ数日間ブログのあり方について考えていた。

というのも、最近何のためにブログを書くのかが分からなくなっていたからだ。

毎日同じような日を過ごし、同じようなメモをして、後で見返した時にその一日が明瞭に思い返せるのか

読者を意識しないと言ったが、それではブログを毎日更新する意義はどこにあるのか

誰かに追われるようにとりあえず記事を更新し、形だけを取り繕うことに何の意味があるのだろうか

迷いながら書いても仕方がないと思い、数日間をおいてみたのだが、それで分かったのは、どうやら自分は数日あればなんとなく何か書きたい気分になるということだった。

昔の人が何かを感じた時それを俳句に詠んだように、数日間あれば自然と何か書きたいことが浮かんできて、それを思いのままつらつらと書く

そのスタイルこそ今の自分に向いている気がした。

というわけで、国試勉強もいよいよ佳境なので、しばらく書きたいことがある時に書くという形でいきます。

がんばるぞ

チェンソーマン所感

チェンソーマンを最新話まで読んだ。

ギャグなど交えて軽く読めつつ、それでいてまだまだ色々隠されてそうな面白い作品だった。

最近よくこのような魅力的な創作物をどうしたら生み出せるのか考えている。

現実に全く即してなければ誰の共感も得られないし、かといって従順でも面白くない。

狂気が強すぎても引かれるし、無さすぎても飽きられる。

うまいこと現実を取り入れつつ、その人の培ってきたものをスパイスとして加え、どんどんその人の世界に引き込んでいく

こういうことができるようになるためには、果たしてどれくらい努力が必要なのだろうと思うと気が遠くなる。

みんなすごい

自戒

一日一日が違う日になることを認める必要がある。

今日〜問解けたからと言って、明日同じペースで進めるとは限らない。

解ける日も解けない日も、とにかく前に進むしか無いということを、日々自分の頭に叩き込みながら進んでいく必要がある。

国試へのストレス

非常にストレスを感じている。

何をすればいいのか分からないまま、いや、苦手な分野をやるべきだとわかってるし、実際に取り組んでいるのだが、ひたすら問題を解いていくのが本当にきつい。

こんな勉強で身につくのか、点数が取れるのか、本番に生きるのか、考えていると嫌になりやる気も消えていってしまう。

自分に甘い顔を見せて受かる試験でもないし、かといって厳しくすると潰れそうになる。

うまいこと妥協点を探って、自分を信じてとにかく一つ一つ積み上げていくしかないのだろうが、それが本当に難しい。

とりあえず頑張るしかない。

初ミシュラン

昨日の日記

人生初、ミシュランに登録されてる店に行った。

とにかく素晴らしかった。

味だけでなく見せ方から何から何までが重要なのだと思い知らされた。

ミシュランとはこういうものなのかと思った。

生きていく上でいい勉強になった。

ぜひまた伺いたいと感じた。

また反省

相も変わらずフォトコンテストに落ちまくっている。

悔しいが、理由も分かる。

写真を始めてから6年間、あまりにも勉強しなさ過ぎたのだ。

フォトコンテストに応募するようになってから、入賞作品を見たり、本を読んだり、他の芸術を鑑賞したりし出したのだが

そこで初めて、世の中にはこんなに色々な写真表現があったのかと気づいた。

身近な美しさに目が向くようになり、これまでワンパターンでどこか未熟だった自分の写真表現に、上達と新しさを感じるようになった。

なぜもっと早い段階でフォトコンテストに応募しておかなかったのだろうと感じる。

本当に悔しいが、今この段階だからこそこれに気づくことができたのかもしれないと考え、残り短いモラトリアム期間、真摯に写真と向き合っていきたいと思う。