弱者は誰か

最近、弱者の声という言葉を耳にする機会が増えた。

ひろゆき辺野古基地移設反対活動を揶揄するようなツイートに対して、「弱者の声を踏みにじる」だとか

フェミニストたちの女性は弱者だっただとか、それに対抗する男性の「俺たちの方が弱者だ」とか

本当にいろいろな文脈で目にするようになった。

そういう人たちを否定するつもりはないし、もちろん納得できる面もあるのだが

一方でそういう自分で声を発することのできる人たちの中に、本当の弱者が紛れてしまっているのではないかという気もする。

例えば、小学校でなにかあった時に、周りの人が騒ぎ立て、学級会が開かれて表面的には解決を迎えるも、当人の考えや意見には全く触れられていないみたいな

気づいてもらえるほど声をあげてくれる存在というのは大事だが

その声が大きくなりすぎて、あるいはいろいろなことが絡みすぎて、当事者の声が聞こえなくなっては本末転倒だし

個々が声を発せるようになってきたこれからの時代、何らかの仕組み作りが必要になるのではないかと思う。