OSCE所感
オスキーが終わって数日。
詳しいことは書けないが、試験は非常に難しかった。
まず時間が圧倒的に足りない。
事前に練習しながら、これは時間が足りないなぁと思っていたが、本番は想像以上に足りなかった。
緊張するし、聞きたいことは山ほどあるし、消毒や会話の間など細々した時間が蓄積してじわじわ効いてくる。
それに焦るから、事前にやろうとしていたことも平気で忘れたりする。
あれを聞こうこれを聞こうと考えていたとしても、いざその時になると全然出てこない。
かといって、何を聞こうかと頭の中を探し回っている時間もないから
絶対に受かりたいなら事前にプランを立てておく+シミュレーションを綿密に行うのは必須である。
巷では最小限で受かる方法だったり、攻略法だったり色々なことが言われているが
試験を受けてみて、問診を実際に取ってみる、またはその練習をするというのが一番の近道であると感じた。
後輩の皆さんは頑張ってください。
言い訳の陰
フォトコンテストの結果が一つ届いた。
結果は入賞ならず、悔しい。
でも、悔しく思えるのが嬉しいとも感じた。
かつての自分であれば、現実を直視出来ず、本気じゃなかったからだとか、設備が整っていなかったとか言い訳をしていただろうからだ。
言い訳は優しく、傷ついた心にふんわりと寄り添ってくれる。
仕方がなかった、選ぶ人のセンスがない、君のせいではないと甘い言葉をかけ、慰めてくれる。
けれども、それは決して自分の実力のためにはならない。
自分の心の傷を乗り越えて、力が足りていなかった点をしっかりと見つめ、乗り越えようとしない限り、本当の意味での成長はないのだ。
様々な分野において同じことが言える。
テストの点数、スポーツでの敗戦、仕事でのミス
たまには言い訳せず、悪いところを見つめてみるのもいいのでは?
台風
台風一過のきれいな青空が広がっている。
この時期になると、毎年1つか2つ大きい台風が来て、その度に何かしら被害が出ており、やはり自然の力にはまだまだ勝てないことを痛感する。
大切にしてきたものが破壊される悔しさは相当のものだろうし、ましてや大切な人であれば、と考えて胸が痛む。
一方で来なければいいというものでもない。
水不足の解消や、生態系の程よい攪乱といったメリットもある。
昔は川が氾濫することによって、土の養分が補充され、次のシーズンの豊作につながっていたという話もあり、今よりもっと必要なものだったのだろう。
このように、何事もバランスの上に成り立っていたのだが
過去の絶妙なバランスが崩れつつある、または崩れてしまったのが今の世の中だと思う。
物事を善と悪のどちらかでしか考えられない人が増え、あらゆる面で両極端な議論が目立つようになってしまった。
何事も、プラス面とマイナス面が共存しているにも関わらず、一方だけを妄信し、他者に同様の「気付き」を与えようという正義感にあふれ、徒党を組んで他者を攻撃する。
こういう人々の議論は、全く生産性がないので、人目のつかないところで細々としておいてほしかったのだが、今や国会にまで入って来た。
国葬だのワクチンだのNHKだの、議論している時間が最大の損失だということに気づけない国会議員たち。
一部の活動家高齢者と、それにこびへつらう、若者というターゲットをスマホに奪われたマスコミ。
若者は若者で、ネットの両極端な議論に呑まれて、疲弊し無気力化。
先が見えないことこの上ない。
全部台風が洗い流してくれればよかったのになぁ。
翌朝
昨日は酒を飲んだ後で日記を書いた。
一度自分の文章がどんな風になるのかを見てみたかったのだ。
で、さっき読み返してみたのだが、意外とまともな文章を書いている。
前半少しばかり、文章の方向性に迷った跡もみられるが
後の方になると方向性が定まって、最終的にはまとまりのある文章になっていると思う。
時間が経つ間に酔いが醒めたのも関係しているのかもしれない。
ところで、この日記はまずテーマを定め、適当に書き始め、自分の考えが向かった先に着地点を求める、いわばパラグライダー(※)のような方法で書いている。
昨日の文章と記憶を照らし合わせて考えてみると、酔っているとどうも着地点が見えなくなるようだ。
どこをどういう風に飛んでいるのか、自分がどこから飛んできたのか
少し飛ぶたびに自分のいる位置を見失い、今思い返せば、まるで霧の中を飛んでいるかのようだった。
何回も自分が通った形跡を書き直し、書き直しきれなかった末に現れたのが、あの前半の迷いの部分だったという訳だ。
昨日の言葉を使えば、その紆余曲折があった部分もまた、人間味があって尊いといえるかもしれないが。
※パラグライダーは着地場がある場合が多いそうです。
酒飲乱文
尊いとは何か
人間や動物の命は「尊い」。
最近ではツイッターの漫画に「尊い」という言葉が使われるようになった。
意味を調べてみると、崇高で近寄りがたいだとか、神聖だとか、価値が高いとか
そうすると、この前見た『窓辺で手紙を読む女』も「尊い」の一種だろう。
一方で卑しいという言葉もある。
一般的に尊いの対義語とされている言葉であるが、こちらはあまり使われているのを見たことがない。
見かけても、文字通り自分を「卑下」するために使っているのがほとんどである。
後は自分の考えと相容れない人に対して
日本人の性格がよく表れているように思う。
相手のことを「尊い」と持ち上げ、自分のことを「卑しい」と称する謙虚さと、相手も分かってくれているであろうという信頼
その信頼関係が成り立たない相手には、最大限の罵り言葉として「卑しい」を使う。
卑しいという言葉には極力触れないで生きていきたいところだ。
焦り
OSCEの試験が迫り、非常に焦る。
焦るとかえって物事が手につかなくなる。
とりあえず参考書を流し読みしてみたり、ブログを書こうとしてみたり
携帯に通知が来るとすぐに開き、ちょっと見て我に返り、余計な時間を使ってしまったと後悔する。
勉強を事前にやる意義はここにあるのだと思う。
一部の心臓に毛が生えているような人間を除き、多くの人は直前になると焦るのだ。
落ち着いて勉強すれば受かるだろうと考えていても、そして、本当にその程度の試験であったとしても、落ち着いて勉強することが困難になるのだ。
だから、直前になって焦ってうまく勉強できなかった経験のある人は、事前に勉強するタイプに早いこと切り替えておいた方がいい。
後悔している先輩からの忠告である。